こだわり
もっとやさしく、もっとおいしく。
佃松の想いと伝統。
終戦直後、昭和二十一年(1946年)7月、二十四歳と二十二歳の若夫婦が、自宅4畳半の台所で、たった二人きり、小鍋と七輪での佃煮づくりを始めたのが、すべての物語のスタートでした。夜中につくり、夜明けと同時に、中古自転車に積んで売り歩いたそうです。
だんだんとお客様もつき、自転車だけでは間に合わなくなり、リヤカー(荷物運搬用の手押しの二輪車)を自転車のうしろにくくりつけ、来る日もくる日も、星が降る時刻まで売り歩く毎日だったようです。
それから六十五年間、お客さまのあたたかいご引立てのお陰で、こんなに社員も増え、会社も着実に成長することができました。ほんとうに感謝のひとことにつきます。
その間、片時もぶれることなく、ずっと心の真ん中に生き続けるのが、『正直・安全・安心』の六文字…。
それを愚直なまでに守りぬき、すべてに優先させてまいりましたし、今後もそうです。ゼッタイに!
「目先のもうけを追うな」「子や孫に安心してたべさせられない食品はつくるな売るな」、これが創業社長の口ぐせでした。
すでに、彼岸に旅立って久しい創業者夫婦で、今ではふたりのことを知らない社員のほうが多くなってしまいましたが、その精神・ハート・まごころだけは、全社員の心に(社長から新入社員にいたるまで)、地下水脈のように流れ受け継がれています。
小さな小さな商品に、まごころと情熱のかぎりをつくし、いっぱいの愛情をそそぎます。それは、まるでわが子を育てるよう。
それを次代にしっかりと伝え、手渡すこと、それこそが、わが社『尾道佃松』のいちばんの務めであり、誇りなのです。
創業の地 尾道市吉和町において「川原松夫商店」を創業
佃松のいわれ
さて、屋号として使用している『佃松』のいわれですが、創業して間もないころ、創業者の妻靖子(上の写真)が佃煮の『佃』と、夫松夫の『松』をとって、『佃松』と名づけたのが始まりだそうです。
妥協しない、原料選び。
仕入れ担当者の目利き。
あらゆる原料の仕入れには、熟達の担当者が生産地を訪ね、自らの眼と手で、厳しい吟味を重ね、納得できたものだけを仕入れています。
原料の鮮度・品質への徹底したこだわり。すべてそこからスタートです。
釧路産昆布に魅せられて。
北海道沿岸ぐるりでこんぶは採れます。そのなかから、当社が佃煮原料として選び出したのが釧路産天然の極上物。その特徴は、モチモチとした食感と、豊かなおいしさ。(「昔ながらの昆布佃煮」と「角切昆布」だけは別記のとおり、道南産を使用しております。)釧路産にとことんこだわりぬきます。
北海道とのつながり。

平安時代末期(1169年)開港の尾道は、内海航路の要衝として栄えていましたが、江戸時代中期には、北海道から北前船の寄港地として大賑いをみせ、「ヒト・モノ・カネ」の一大集散地として栄華を誇っておりました。その中で、北海道から昆布・にしん・数の子などの海産物が多く入ってくるようになり、この流れで、現在も、北海道の良質な昆布が入ってきます。 昆布を商いの中心にする業者が10数社もある全国でもまれに見る地域です。

瀬戸の小魚は鮮度が命。
小女子やいりこなどの小魚類は瀬戸内海産に限定。
炊いた時、おいしく、また煮くずれすることなく、きれいに仕上げるには、『素材の鮮度』がいちばんたいせつ。そして、それを見抜く『眼力』とが問われます。
伝統の熟炊き製法を守り抜く。
美味しさを求めて。
昆布佃煮のおいしさを徹底的に求めてたどりついたのが、この「熟炊き製法」です。一般的な「浮かし炊き製法」は、まずこんぶを湯でボイルし、十分にふやかしてから調味液にどっぷり浸して炊く方法で、かさ増しにもなる、いわば簡単調理の大量生産方式。
製造コストを抑えることができるので大手メーカーなどでは一般的です。それに対して、佃松の「熟炊き製法」は、こんぶをそのまま、じっくり長時間かけて炊き上げていく昔ながらの製法。生産効率は悪く、大量生産はできませんが、モチモチとした食感と、こんぶの旨味を逃がさず抱き込んでいく究極のこだわり製法なのです。
ゆっくり時間をかけて、手作業で行われる熟炊き製法。
秘伝のタレ。
創業以来六十五年間、継ぎ足しつぎたし使ってきた「秘伝のタレ」の美味しさは佃松の伝統がなせる技。創業者夫妻の美味しい佃煮を作りたいという熱い想いと、長い時間をかけ熟成されたタレが合わさり、素材の風味を最大限に引き出す味が実現しました。